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格言集

断片的な走り書き13

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もう大詰めである。

愛すべき人を守りたいならば、その「来たるべき時」のために、きちんと準備をしておきなさい。

 

私の個人セッションの良さはわかるが、特別セッションの本当の良さがわからないという人がたまにいる。

たとえて言うなら、ビシビシに決めたわかりやすい着こなしならすぐにわかるが、粋人(すいじん)があえて崩(くず)した着こなしの奥深さはわからないというわけだ。

私は、あなたの見る目を正しく見極めるために、またはその他、様々な意図を持って、あえて崩(くず)しているのだ。

それゆえ、時には「ただの愚か者」のように振る舞うことさえもする。

 

わかんない人には、わかんないよ。

なにせ「自分がわかってないということ」さえも、わかってないんだから、そこをわかりたいなどという発想すら湧(わ)いてこない。

だから私も、反感を買うばかりなので、そのような人には露骨にわからせようとはしない。

 

うまく歌える人だけが、意図的にハズして歌うことができる。

これ、一生懸命に歌ってもハズレてしまうこととは似て非なり。

身につけてきた歌唱能力が圧倒的に違うのだ。

つまり、地道に積み上げてきたものの量によって高められてきた質が圧倒的に違うのだ。

それは着こなしにおいても同様。

きちんとした着こなしのできる人だけが、意図的にくずして着ることができる。

この法則に例外なし。

コミュニケーションにおいても同じなのである。

私は、気づいていても気づかないふりをする。

 

妖怪には「劣等感に由来する嫉妬心(しっとしん)」は山ほどあるが、「良心に由来する羞恥心(しゅうちしん)」なんぞ、これっぽちもありゃしない。

 

意識を内側に向けておきなさい。

意識に由来するエネルギー、すなわちあなたが注意することによってあなたの意識から放射されるエネルギーを内側へと蓄積するのだ。

そのエネルギーがあなたに変容をもたらす。

意識はエネルギーであり、意識によってエネルギーを高めていくことにより、あなたに変容をもたらす。

その変容の結果、悟りへと至るというものである。

 

生きるいうことは、意識を外側に放射していくことだ。

あなたは朝起きて、初めに意識を外側に放射していくことによって、まずはあなたが現れ、次に世界が現れる。

賢者たちが言うところの「死になさい」とは、意識を内側に向けていくことなのだ。

 

目覚めが明晰な人ほど、他人の眠りがよくわかる。

眠りの深い人は、他人の眠りもわからない。

特に自身の眠りには・・・

泥酔状態の酔っぱらいに、「誰がシラフか?」なんてわかるもんじゃない。

 

客体(対象物)としての心である想念とは、あなたが散歩に連れ出している時の犬のようなものです。

それは動き回るものです。

ですから、主体としての心である内なる自己としてのあなたが、ただ動かなければ良いのです。

 

肉体次元で生きるいうことは、魂としてのあなたを外側に放射していくということだ。

しかし、それだけでは魂としてのあなたの眠りということになってしまう。

ゆえに、あなたが魂の次元でも生きたいならば、意識を内側に向けておきなさい。

それは「従来のあなた(いわゆるエゴとしてのあなた)が死ぬ」ということだ。

すなわち「本来のあなた(魂としてのあなた)が目覚める」ということなのだ。

 

「自分さえよければ、他の人たちが苦しんでも構いはしない。」

私は、そのような腐った水(汚れた想念)の中で生きることが大嫌いな性分なのである。

 

バナナを隠せば、猿は去る。

だから私は、バナナを隠す。

私は人間を待っているのだ。

 

私は、時には意図的にも、あなたの思い(想念)を裏切ることは多々あるだろうが、魂としてのあなたの願いを裏切ったことはない。

 

人を愛したいのなら、まずは自分を救いなさい。

 

愛とは、あなたの個人的な想いに由来するものではなく、意識としてのあなたの在り方に由来する自然な発現なのだ。

 

もっと理解を深めたい・・・

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